もう大丈夫なのかと思ったら意外と駄目だった。ぽいです。さっさと終わらないかなぁとか、疲れたなァとか、一人になって考えるのはずっとずっとそんなことばっかりだと気付いてしまったのですよ。
”優しい”なんて言われると困ってしまう。人と会話してると、特に意識しなくても肯定的な答を返せるようになって久しいけれど、元からそうだった訳ではないもの。相手を肯定してやったほうが面倒が起きないし無駄に敵対することもないし、その後の関係がまずまず良好なものになるからそうしてるだけだもの。別に、本心からそう思ってるわけではなくて、きっとこう答えた方が後が楽だなというのを選んで言っているだけ。
これのどこが優しいんだろう?
優しいねと言われて、そんなことないよと答えて、でもやっぱり優しいと言われてしまう。それを狙っていないとは言えないけれど、でもその事を知ってる私からすれば全然優しくなんてなくて。
自分と周りの認識のギャップにちと付いていけんのです。優しいと言われてしまうと、そうあるように行動しなければと思って余計に自分のなかで拗れていくし。だったら最初からそうしなければ良かったのだろうけれど、今更もう手遅れだし。
小心者なのだ、結局。勉強できなかったから、そうしたら親の望みを叶えるには中身がある程度できた人間にならなければだったのだけれども、でもそうなるには私の考えはそぐわなくて。だったら本心がどうあろうと相手に合わせて行動するのが一番楽だったんですよね。そうやって今まできたからもう身に染み付いてしまったというだけで。
優しいってなんだろう。打算で取った行動を優しいと評されてしまうとどうしたらいいのか解らなくなるよ。狙ってた通りになって喜ぶべきなのか、違うんだと主張してみるべきなのか。いや主張できないのなんて解ってはいるんですよ。それが出来たとしてもせいぜい親しい間柄限定でしょう。でもそういう相手にだって私は上記のような行動理念でもって相対しているわけですよ。というか相当昔からの知り合いでない限り、出会ったときにはもう優しげに見えるような態度をとるようになっていたわけで。
もう嫌だと思っていても本当に今更変えられなくて。そういうものだと周りに思われているだろう”私”を崩す勇気がないのです。でももうそれを続けるのも厭きてきたし面倒くさいと思ってしまうし、だからもう止めたいと思うのに、それでも実際には躊躇いもなくそういう行動をとってしまうのです。
悪循環を繰り返しているの。楽だからと取った行動で苦しい状況に陥るのにそれでもそうあった方がマシだとまた同じことをしてしまう。そうして一人になったときに自己嫌悪に浸って鬱屈として。
だから疲れたなぁと呟いて、誰かが私をとめてくれないかしらと夢想するわけです。他力本願で嫌になってしまうけれども。まぁ、自殺できないことに対して、自分を納得させるための言い訳に過ぎませんがね。
私は意外と役者なんだなと自画自賛するこの頃です。でも疲れたよ。素の自分がどこにいるのかも解らなくなってきちゃった。これが多分私にとって一番それらしいんだろうと自分は、一番不要なものですから。
あーぁ……疲れたなぁ。
”優しい”なんて言われると困ってしまう。人と会話してると、特に意識しなくても肯定的な答を返せるようになって久しいけれど、元からそうだった訳ではないもの。相手を肯定してやったほうが面倒が起きないし無駄に敵対することもないし、その後の関係がまずまず良好なものになるからそうしてるだけだもの。別に、本心からそう思ってるわけではなくて、きっとこう答えた方が後が楽だなというのを選んで言っているだけ。
これのどこが優しいんだろう?
優しいねと言われて、そんなことないよと答えて、でもやっぱり優しいと言われてしまう。それを狙っていないとは言えないけれど、でもその事を知ってる私からすれば全然優しくなんてなくて。
自分と周りの認識のギャップにちと付いていけんのです。優しいと言われてしまうと、そうあるように行動しなければと思って余計に自分のなかで拗れていくし。だったら最初からそうしなければ良かったのだろうけれど、今更もう手遅れだし。
小心者なのだ、結局。勉強できなかったから、そうしたら親の望みを叶えるには中身がある程度できた人間にならなければだったのだけれども、でもそうなるには私の考えはそぐわなくて。だったら本心がどうあろうと相手に合わせて行動するのが一番楽だったんですよね。そうやって今まできたからもう身に染み付いてしまったというだけで。
優しいってなんだろう。打算で取った行動を優しいと評されてしまうとどうしたらいいのか解らなくなるよ。狙ってた通りになって喜ぶべきなのか、違うんだと主張してみるべきなのか。いや主張できないのなんて解ってはいるんですよ。それが出来たとしてもせいぜい親しい間柄限定でしょう。でもそういう相手にだって私は上記のような行動理念でもって相対しているわけですよ。というか相当昔からの知り合いでない限り、出会ったときにはもう優しげに見えるような態度をとるようになっていたわけで。
もう嫌だと思っていても本当に今更変えられなくて。そういうものだと周りに思われているだろう”私”を崩す勇気がないのです。でももうそれを続けるのも厭きてきたし面倒くさいと思ってしまうし、だからもう止めたいと思うのに、それでも実際には躊躇いもなくそういう行動をとってしまうのです。
悪循環を繰り返しているの。楽だからと取った行動で苦しい状況に陥るのにそれでもそうあった方がマシだとまた同じことをしてしまう。そうして一人になったときに自己嫌悪に浸って鬱屈として。
だから疲れたなぁと呟いて、誰かが私をとめてくれないかしらと夢想するわけです。他力本願で嫌になってしまうけれども。まぁ、自殺できないことに対して、自分を納得させるための言い訳に過ぎませんがね。
私は意外と役者なんだなと自画自賛するこの頃です。でも疲れたよ。素の自分がどこにいるのかも解らなくなってきちゃった。これが多分私にとって一番それらしいんだろうと自分は、一番不要なものですから。
あーぁ……疲れたなぁ。
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